人間探求・地球探訪

by 社会人ときどき心理学者たまに旅人

学生時代の記録・1/3 〜生命科学と天体観測〜

僕は学生時代、生命と宇宙の勉強や研究をしていました。
それについてまとめたWebサイトを持っていたのですが(Webサイト制作の勉強も兼ねて)、この度閉鎖することにしたので、その本文をこちらに転載することにしました。

ーーー時は、今から12年前。
平凡な学生が研究者へと覚醒するお話です。

第1話「学生生活」

「受験なんて二度とやるか~!」と、1年間の浪人生活にサヨナラした2004年4月、「農学部ときどき天文部」という大学生活が始まりました。

理科と美術

得意だった理科をもっと専門的に学ぶこと、大学という教育環境を体験すること、いろんな人に会って話すこと、などなど妄想してましたが、もう一つ、得意だった美術も鍛えようと考えてました。
美大への進学もちょっとだけ考えてたんですけどね、「理科は教えてもらい、美術は独学で」という結論に至り、結局この道に進みました。

サークル選び

大学生活の最初の1週間はサークル・部活の勧誘合戦でした。僕自身は、コミュニケーションのために何かしらのサークルに入ろうとは思っていましたが、これといって目星は付けておらず、友達もいなかったので、「誰か声かけてくれないかな~」という状態でした。
そんな時、声をかけてくれた部活の一つが「天文部」でした。
幼い頃、毛利さんのスペースシャトルからの中継や、田舎で見た星空の印象が大きかったのか、元々宇宙は好きで、望遠鏡を買うんだと貯金していた時もありました。受験戦争で忘れていましたが、その憧れのようなものが実現できるチャンスだと思い、入部を決めました。

熱意の先

それからは、大学の講義が終われば部活動に励むという、ごく普通の大学生活が淡々と続きました。一方で、特に誰にも言はなかったですが、「いつか画力を活かした仕事ができたらな〜」なんて淡い妄想を抱き、絵の勉強も続けていました。
が、当然そんな才能は無く、2年が過ぎようとする頃、夢は散り、絵を描く気も起きなくなっていたのでした。大学の勉強もどこか平凡で、面白味を感じなくなり、自分に残ったのは、たかが部活動の天体観測だけでした。でも、それが純粋に頑張れる舞台だったからか、悔しさの鬱憤を晴らすかのように、がむしゃらにも天体観測を続けました。

それからは、もはや「天文部ときどき農学部」であり、これが進路を左右する一連の出来事の始まりとなります。


第2話「天体観測1」

そもそも、天体観測というものがどんな活動なのかという事ですが、それは太陽などの身近な星から、はるか遠くの聞いた事もない天体まで、望遠鏡や双眼鏡を使ってデータを集める活動でした。

観測対象

お昼の休憩時間には、太陽の黒点のスケッチをして、その数や大きさが日々どう変化していくのか記録します。
大学の授業が終われば、望遠鏡を使って木星土星、月のクレーターを観てワクワクして、暗くなれば、変光星という星を観測します。
最も感動的な流星の観測は、5泊6日の夏合宿での主な活動になります。

班活動

僕は変光星を主な観測対象とする班に入り、この班活動を軸に天文部での日々を過ごしました。
変光星とは、時間の経過に伴い明るさが変わる星で、そのメカニズムは星の膨張・収縮に起因するものや、暗い星が明るい星を隠す事によるものなど様々です。
双眼鏡を使って、星座を頼りに変光星を見つけ、その明るさを時間を追って記録していきます。数時間で変光するものから、数年かけて変光するものもあり、記録したデータはそこそこ貴重な資料として研究団体に送ります。

夏合宿

毎年夏には、泊りがけで「ペルセウス座流星群」を観測します。
流星群の正体は彗星が残していった岩石の欠片で、彗星の軌道上には、その数mmほどの欠片が幾つも漂っていてます。その軌道上を地球が通過する事で、特定の場所から放射状に流星が飛んでくるように見えるのです。
流星群の観測は、仰向けに寝た状態で、その明るさや個数を計測します。

その他、小学生に観望を体験させたり、文化祭でプラネタリウムを作ったり、他大学の天文部と勉強会したり、時にはスポーツや山登りで息抜きしたり、多くの体験をしました。


第3話「天体観測2」

2年が過ぎる頃、僕は天文部の幹部になり、 部の運営についても体験するようになりましたが、天体観測への情熱は変わらず、天文学宇宙論にも触れるようになりました。

宇宙論

変光星が星の一生に起因する事もあり、星の誕生や消滅、輝きの仕組みを調べているうちに、大学の図書館で、宇宙の誕生や構成についても学ぶようになりました。
やがて、核融合反応や原子惑星系円盤などの言葉を覚えるようになり、太陽や地球の誕生のメカニズムに迫るようになった時、普段観ているあの天体が、太陽と何ら変わりのない存在であることに気づき、地球についても、特別な惑星ではなく、宇宙を構成する小さな一部分に過ぎない事を実感するようになりました。
と同時に、何となく特別な存在だと思っていた「生命」について、好奇心のような1つの疑念を抱くようになりました。

志のすれ違い

もちろん、天文部のみんながみんな、高いレベルの熱意を持っていたわけではなく、純粋に天体に興味を持っていたのは10人に1人ぐらいでしょうか。モチベーションに差がある事は団体活動ではよくあることなので、「まぁ、世の中そんなもんだろ」で済めば良いのですが、若造の場合、そう上手くは行かない。
「なんで1人で活動するの?」という不満を9人が抱え、「なんで自ら動かないの?」という不満を1人が抱える、よくある構図ができあがります。
僕は後者だったわけですが、他にも、政治的圧力や古いしきたり、茶番のような世代交代の儀式、それらが社会勉強の一環だと言う風潮、などなど身に沁みるようになり、その全てが無駄に思えてきました。僕はただ、純粋に宇宙を知りたかったのです。

同志の追求

友達としては成立するけど、チームメートとしては成立しなくなってきた状況に、「同じ志を持ったチームメートに会いたいな~」とか、「もっと上のレベルを目指すしかないのかな~」とか、いろいろ考えたんですけどね、その時は他に頑張れる当てが無かったから、結局は悩みながらも天文部で活動を続けました。
ただ一つ、可能性を感じたのは、天文部での活動を通じて天文学系の大学院へと進んだ数少ない先輩たちの存在でした。オーロラの観測や銀河の観測をするために、他大へと進学したその人たちの姿がすごく輝いていて見えたのです。けれど、その先輩たちは理工学部出身だったので、農学部の自分にはありえない進路だと決めつけていました。

うっすらと気づき始めた、新たなる好奇心と、それを追求した先にある、手の届かない進路。自分には無理だと思い込み、目指そうとはこれっぽっちも思っていませんでした。そんな状態で幹部の任期も終わり、天文部での活動は一段落しました。


第4話「生命科学

天体観測ほどのワクワク感や楽しさは感じなかったものの、本業である生命科学の勉強も無難に続いていました。

生命科学とは

入学するまでは「生命科学」がどういう学問なのかよくわかっていませんでしたが、簡潔に言えば、生物学を分子レベルまで掘り下げて、生命活動のメカニズムを理解する学問、です。
最初、面白さを感じなかったのは、この「分子」というミクロの世界が捉えにくかったからかもしれません。

DNAと細胞と代謝

少し具体的に言うと、生命の設計図とされる「DNA」や、それを内包する「細胞」、そしてその細胞同志が繰り広げる「代謝」の3分野を中心に学んでいきます。実際の授業は、それぞれをさらに幾つかの分野に分けて行われるので、この3分野が明確に示されたわけじゃありません。
ほとんどの授業が分子レベルで説明されるので、なかなかスムーズに頭に入らなくて、理解には苦しみました。そのせいか、人の骨や臓器の構造を学ぶ解剖学や生体組織学の授業は馴染みのあるマクロな話だったので、比較的理解しやすかったです。

その他学問

生物実験や化学実験の授業もあり、マウスの解剖を通じて体の構造を学んだり、酵素反応を難しい数式を使って考察したりしました。
もちろん、科学系の授業だけではなく、社会学や心理学、哲学や文学などの授業も受けたり、農業体験したり、第2外国語として中国語を勉強したり、たまには異世界の事を学ぶのも楽しいなと思いつつ、無難に単位を取得していくのでした。

そうして、ちょうど天文部での幹部の立場を降りる頃、最後の単位取得の山場となる研究室に所属することになります。


第5話「代謝の研究」

僕は、内分泌の研究をしている研究室に所属しましたが、そこは解剖学や組織学の傾向が比較的強いのが特徴でした。

マウスの命

卒業論文を書く事が最終的な目標になるわけですが、研究とは何か全くわかっていなかったので、最初は指導教官や先輩の言うことをただ聞くだけでした。
僕がやっていた事は、マウスを解剖して、脳の中心部にある下垂体や幾つかの臓器を取り出し、 それぞれの部位に特定のタンパク質があるかバイオテクノロジーを使って解析することでした。殺したマウスの数、、、百か千か。
「薬というのは、こうして作られるんだな」とか「人間なんて都合の良い生き物だな」とか、いろいろ考えましたね。

研究?

本当は、この研究にどんな謎があるのか論文などから導いて、仮説を立てて実験を始めなきゃないけないのですが、そんなノウハウは全く知らず、ただただ、言われた実験を繰り返し、数ヶ月が過ぎて行きました。
本当は、研究とは何かという事を初めに教えて欲しかったんですけどね。だから、突然自分の研究の意義を問われても答えらない。あえて挙げるなら、「単位をとるため」というのが正直なところでした。

悪知恵の文化

単位を取るために、マウスの命を奪う毎日が面白いわけがない。そう感じながらも、研究を続ける学生は僕だけじゃありませんでした。
不備だらけの研究や雑用を放り投げられ、責任転嫁される事も多々ありました。上っ面は目上の人をよいしょする良い人を演じておいて、自分のミスは全て人のせいにする。彼らは純粋さや素直さを失い、悪知恵を認め合う空気に染まっているようでした。
純粋な動機で研究を続ける人たちは、どこにいるのでしょうか。

最初は頑張ってたんですけどね、「つまらない」「ここにいたくない」というのが本音でした。そうして懐しく想うのは、やっぱり「天体観測」でした。


第6話「新たなる好奇心」

2006年11月、就職活動に向けて周囲が慌ただしくなる頃、僕が気にかけていたのは、仕事の事でも、卒論の事でもなく、天体観測の事でした。

好奇心の追及

純粋に天体観測をしていた、あの時の熱意が捨てきれず、あの時の自分をもっと持続させたかったのです。
ただ、熱意を向ける先が定かではないのも事実でした。「大学院」という可能性を考えても、生物学を専攻してきた自分が、部活で培った程度の知識で宇宙の研究なんて出来るわけがない。でも、仕事もしたくないし、今の研究も続けたくない。
そうして悩んだ末に、「自分の知識・技術を活かせる宇宙レベルの研究はないだろうか…」というところまで行き着きました。

ドレイクの方程式

その時なんとなく思い出したのは、大学1年の時に調べた「ドレイクの方程式」でした。天文部の夏合宿では1年生が自分で調べた事を発表するイベントがあるのですが、僕は宇宙人が存在するのか科学的に知りたくて、いろいろ調べているうちに、この方程式に辿り着きました。
この方程式は、天文学者ドレイクが導き出した、宇宙に存在する文明の数を推定する数式で、7つの定数の掛け算で算出されます。各定数には、太陽や地球のような天体の存在確率などが入りますが、そのうち2つは、生命が誕生する確率や知的生命体にまで進化する確率がそれぞれ入ります。もちろん、定数と言えど、世界が納得した数値があるわけじゃなく、学者によって解は大きく異なります。

宇宙レベルの生物学

ただ、改めてこの方程式を見直して思ったのは、「この解をより正確な値へと導けるのは天文学者だけじゃなく、少なくとも、生命の誕生や進化の値に関しては、まさしく生物学者じゃないか」という事でした。
科学雑誌やテレビ番組の特集で地球外生命体の存在について議論されていたこと、宇宙飛行士の向井さんが宇宙でメダカの実験をしていたこと、火星の隕石に微生物らしき物体が見つかったこと、そういう議論や実験や発見も、宇宙レベルの生物学であり、それが数十年後、あるいは数百年後に辿り着く先に、ドレイクの方程式の解があるのではないかと思いました。

それが具体的に何という学問なのか、その時はわかりませんでしたが、新たな好奇心が湧き上がり、もう就活どころじゃありませんでした。


第7話「学びの収束」

地球外生命体の存在を解き明かす、生命の誕生や進化へのアプローチ。それはアストロバイオロジーと呼ばれる最新の学問でした。

アストロバイオロジー

いろいろと調べているうちに、何ともカッコいいその学問に辿り着いたのですが、それは、天文学や地学、物理学、化学、生物学など、科学のあらゆる方面から「生命とは何か」を解き明かそうという学問です。
規模が大きいせいか、新しい学問だからか、日本ではあまり認知されておらず、目にするニュースのほとんどはNASAの研究成果でした。それでも、その学問がカッコよ過ぎて、その世界に行きたい気持ちは強くなる一方でした。問題は、この学問の世界で、自分にできる事があるかということ。

みんな分子

これまで、分子レベルでDNAや細胞や代謝について勉強を重ねてきたわけですが、総じて納得したのは「生命は分子で出来ている」ということ。まぁ当たり前ですね。
ただ、「その分子はどこから来たのか」というもう一歩先の謎に踏み込めたのは、天体観測を通じて「もしかして、元を辿れば、宇宙から?」という疑念を抱けたからでした。
生命科学は「摂食や吸収により外部から細胞内に分子を取り込む」というところまでしか解説しませんからね。

生命の起源

星の輝きの正体である「核融合反応」や「超新星爆発」によって次々と生産された種々の分子は、徐々に形成されていく太陽の重力によって集合し、やがて土星木星を作り、地球を作る。つまりは、人間も含めた生命は皆、土星木星、地球と同様に、元を辿れば、宇宙提供の分子という材料で出来ている。人工物や雲や空や空気も。
でも、生命だけが決定的に違う。どうして同じ材料なのに、こんなにも異なる物体が出来たのか。それは、生命の起源を解明しなければわからない!

そして、現在、最も有力視されている生命誕生の場が「深海」であり、生物学的手法が有効である事を突き止めました。


第8話「進学の道」

生命の起源を解き明かすために、宇宙からではなく深海から攻める方法もあり、それは、深海の特殊な環境や化学反応、そして、微生物をターゲットとする研究でした。

研究の現実性

わずかでしたが、インターネットや科学雑誌などで、生命の起源にアプローチしている日本の研究者を見つけ、アポを取って、直接会いに行き、話を聞いたりしました。
具体的にどんな研究をしているのか、自分の知識・技術を活かせそうか、環境は整っているか、家から近いか、学費はどれくらいか、メンバーは何人いるか、などなど考えて的を絞った結果、自分の理想に近い研究室が2つの大学にあることがわかりました。

受験への決意

一つは東京大学で、もう一つは私立の大学だったのですが、この時はまだ、どちらが第一志望かは決まらず、どちらも受験するつもりで勉強をしようと考えました。
それぞれの試験対策をすれば、仮にどちらかを受験しないことになっても、知識の向上につながるから損はないだろうという算段でした。

不安要素

院試の過去問は、大学のホームページからダウンロードできるので、早速東大の問題を見てみたのですが、、、もう、わけわかんなかったですね。
受験科目は全部で3科目あり、英語が必須で、残り2科目は複数の科目から選択します。僕は生物と化学で受験することにしたのですが、物理・化学・生物・地学など科学全般の学問を隔たりなく理解している必要があり、生物は半分も解けず、化学に関しては1問もわかりませんでした…。
物理というものを一度も習った事がない自分にとっては、心が折れる絶望的な瞬間でした。

自分の理想とする進路に立ちはだかった壁。とは言っても、もう後には引けないので、何とか攻略するしかありませんでした。


第9話「受験勉強”改”」

そもそも受験勉強なんか二度とやりたくないという気持ちが強かったので、ひたすら暗記する方法はもう止めて、新しい勉強法を考えました。

基礎からやり直し

物理はゼロから独学で勉強していくしかないので、先ずは広く浅く理解し、徐々に熱力学や量子論に踏み込む作戦を立てました。そのため、中学生向けの参考書を買ったり、物理学概論や微積分の授業を1年生に混ざって受けたりました。
英語の試験はTOEFLなので、苦手な英会話に少しでも慣れるため、これまた1年生に混ざって英会話の授業を受けたり、書店に売っている模試を何冊も買いました。

理論で覚える

化学と生物に関しては、分子から生体に至るミクロ→マクロの諸現象を、一連の出来事としてノートにまとめていき、これまで学んできたバラバラの知識を繋ぎ合わせていきました。
大学受験の時までは「書いて覚える」というのを半ば信じていたのですが、この時はもう「ノートにまとめたら、後はそれを読むだけ」にしました。まとめるまでが大変でしたが、一度まとめれば、1つの現象が10、20の現象に紐づくようになり、芋ずる式に複数の現象を理解できるようにしました。

孤独との戦い

こうして、2007年4月まで、代謝の研究をしながら進路探しや受験勉強をする毎日が続きました。
5月からは研究を中断し、図書館で朝7時から夜10時まで勉強する毎日でした。眠くならないように、朝ご飯はしっかり食べて、昼ご飯はあまり食べないようにしました。
大きい図書館の中で、1人黙々と勉強するのはかなりの孤独を味わいましたが、自分の理想を築くためにと、頑張り続けました。

そうして、「自分の勉強法は正しいのか」「落ちたら同情されるのか」「でも受かりたい」なんて複雑な気持ちのまま、8月の試験を迎えます。


第10話「研究者へ」

難しい事に挑戦している時は、周囲の言葉というのは雑音のようで、頼りになるのは自分自身の上っ面の信念だけでした。

試験当日

幸か不幸か、その日はセミの鳴き声が絶好調で、英語のリスニングは集中して挑むことが出来ませんでした。化学は1番勉強した熱力学の問題が出ず、量子論の問題に苦戦しました。どちらも5割ほどしか取れなかったでしょう。
最も得意な生物は、この頃にはかなり鍛えあげていたので、8割は取れたんじゃないかと思います。
その他、小論文や面接の試験も受け、はっきりとは覚えていませんが、生命の起源に迫るために深海微生物の研究をしたいんだと伝えました。

合否発表

合格者一覧の貼り紙に、自分の受験番号があったのを見て感じたのは、かつてない安堵感と開放感でした。同時に、「受験なんて絶対に、絶対に、絶対に、二度とやらない」と心に決めました。
それだけ、図書館にこもった3ヶ月が地獄のようで、あの時の努力はもう二度と出来ないでしょう。
その後、友人や家族、研究室のメンバー、天文部のメンバーに合格を報告し、しばらく休んだあと、再び「生命の起源」のニュースを追いかけるのでした。

東大へ

大学院重点化政策という国の施策もあり、学部の受験に比べたら倍率は低く、大学院は入り易くはなっています。それでも、周囲の反応を見ると、 良い意味でも悪い意味でも、東大というネームバリューの影響は大きいなものだと感じました。
そして、そんな東大に行くというのは、もう一つ別の意味がありました。それは、ただ単に「勉強を頑張った」のではなくて、「学問という分野で、目標を目指し、競争を勝ち抜いてきた」という証明でした。
子供の頃はそんなにスポーツが得意じゃなく、勉強だけが取り柄だったのですが、「勉強」って言う言葉にはあまり良いイメージがなくて、先生や親は子供に「勉強しなさい!」というけれど、子供にとっては「何か心の準備できてないし、何でやんなきゃいけないのかわからないけど、怒られるし、ゴチャゴチャ言われるのストレスだからやるか」みたいな思い出の方が強いんじゃないでしょうか。
少なくとも、僕自身は、そういうレベルの勉強は卒業して、スポーツと同じように大きな目標を持って、そのために努力を続けてきた、という証がほしかったのです。そして、そんな自分のために、今まで高い学費や医療費を払ってくれ、育ててくれた両親や親戚の努力に、ほんの少しでも報いになればと思います。

それからは、時々天文部にも顔を出しながらも、卒論のために代謝の研究を再開するのでした。研究生活を心待ちにして。
planet-odyssey.hatenablog.jp