Mの旅日記 〜アラサー社会人の冒険〜

都会と社会と仕事から逃げるように始めた、アラサー1人旅の記録です

学生時代の記録・2/3 〜深海微生物の研究〜

続いては、大学院生時代のお話です。

ーーーそこはまさに科学者の舞台であり、情熱的で刺激的な研究生活でした。
しかし再び、将来の選択が迫ります。

第1話「東大生」

やっとというか、ついにというか、脱獄したかのような開放感と未来への期待で大学院生活が始まったわけですが、最初に気になるのは「東大やその研究室はどんな環境なのか」ということでした。

キャンパス

僕が通うことになったのは本郷キャンパスだったのですが、巨大な公園のような場所で、広い芝生や池やカフェがあったりして、都会の中の癒し空間といった場所でした。
博物館もあって、時期によって展示内容が変わるのですが、宇宙や生命の進化について目で見て学べる身近な場所でした。
本郷キャンパスは観光スポットだったり、遠足や修学旅行のコースにもなっているようで、観光客が多いのも特徴でしたね。個人的には、この一般客の存在が象徴してる「開放感」が良い癒しになりました。

授業

特別講義が多く、有名な研究者が登壇する事もありました。また、地層調査や微生物調査、海洋調査などの実習が多かったように思います。好奇心を刺激するカリキュラムが意図されているのかもしれません。

院生室

研究の拠点となるのは院生室という10畳ほどの部屋で、6〜7人の大学院生が一緒に使います(先生方は別階の個室)。
自分の机と大きな本棚を一つずつ貰えて、ここで論文を読んだり、発表資料作ったり、たまにご飯を食べたりします。
同室の院生は同じ研究室のメンバーというわけではなく、他専攻、他研究室の修士や博士がごちゃ混ぜに入るので、恐竜の話やサメの話、天体の話、そして生命の起源の話など、少年魂をくすぐられる話が毎日し放題なのです。
また、他大学から東大の院に来る人の方が多く、アウェイという感じも一切なく、上下関係や年功序列などもなく、平等にそのような会話をすることができました。
院生室の存在は僕にとっては有難く、先生や目上の方がいないので、変なプレッシャーも無く、リラックスした状態で研究に打ち込むことができました。

「開放感があって、過ごしやすい場所」と、早い段階で実感できたことは、これから研究を始めるにあたって前向きになれる、プラスの第一印象となりました。


第2話「研究とは」

環境に一安心したところで、さっそく、その研究が始まるわけですが、それは、悪知恵も嘘もない、真の研究でした。

謎を見つける

最初の仕事は「世界にはどんな謎があり、それがどこまで解明されているのか」を知る事でした。
具体的には、過去の研究結果が記されている「論文」を読んだり、学会に参加して、最新の研究成果を見聞きしたり、同じ興味を持った者同志のコミュニティに参加したりして、情報を集めます。
論文はたいてい英語なので、辞書を引きながら解読していきます。慣れるまでは大変で、読んでるうちにウトウトしてしまうことも。

仮説をたてる

解明されていない謎を見つけたら、次は「謎の答え」を推測する作業です。
論文や学会発表の中で紹介されている事実を紡いでいき、「こういう事実があるから、きっとこの謎の答えは、こうに違いない」と自分なりの仮説を立てます。
研究を始めたばかりの人間が説得力のある仮説を導き出すのは至難の業で、仮説を立てる作業はしたものの、その中身は薄かったと思います。

実証する

そして、その仮説が正しいことを証明するために、今度はその証明方法を考えます。予算や設備、研究室の得意分野によって方法は限られますが、その中で多くの人を納得させる、より現実的な方法に狙いを定めます。
ここまでの作業は頭の中で理論を組立てながら、ノートにメモを書いたり、パワーポイントを作ったりしてまとめていきます。
あとは、その証明方法を実践するのみですが、この実践作業が「実験」と言われるもので、研究の大半を占める主な作業となります。

これら一連の作業は、とても忍耐力のいる作業で、この難しい状況に「どんな態度で向き合うか」は、おそらく「その人がなぜ研究をするのか」という根底にある精神によって変わってくるのだと思います。
困難に向き合い、努力ていく人がいる一方で、屁理屈で反抗したり、不登校になったりする人が出て来ます。


第3話「心構え」

自分に合った環境で自分のやりたい研究ができる嬉しさや楽しさはあったものの、研究の難しさも感じていました。
ただ、博士への進路も視野に入れていたし、「修士過程をどう過ごすか」はかなり真剣に考えていました。

先入観ゼロ

僕が最初に意識したのは「人」に対して先入観を持つのを止めることでした。いろんな研究者と知り合いになるチャンスや、自分の研究を伝えるチャンス、人を味方につけるチャンスを無駄にしたくなかったので。
昔は「あの人は偉いから」「あの人は経験があるから」「あの人にはこんな噂があるから」「あの人は怖そうだから」とかいろいろ考えて、コミュニケーションに躊躇していましたが、そういう先入観は捨てるように心掛けました。

ライバルの相手

数ヶ月経った頃、自分と同じ研究室や院生室の中でも、研究が上手くいかず、相談も出来ないまま不登校になる院生が目に入るようになりました。
身近にいて、立場の近い仲間が減っていき、時折姿を見せても下を向いている。競争の世界だから、彼らの心配なんてしてられないし、自分が研究を続けていくために、誰と競うべきかを考えるようになりました。
閃きに近い結論として出たのは、努力を黙々と続け、研究を楽しんでいる博士の人をライバル視することでした。そうすることで、自然と仲間が増えたように思えたのです。

限界の目標

ライバルの相手は自分の何倍も経験がある人達だから、中途半端なモチベーションでは勝てないし、見下されてしまう。
そんな不安を振り払うために考えたのは、修士が目指せる限界の目標は何かという事で、同時に、その目標が達成できるかどうかが、僕が博士に進むか否かの判断材料になると思いました。僕は、修士の2年間で、論文を一つ世に出すことを目指しました。

これから本格化する研究に向けて、心の準備もOK!ということで、研究者としての本当の戦いが始まります。


第4話「深海の微生物」

論文を読み続け、先輩や先生と相談を繰り返すことで、仮説やその証明手法が少しずつ具体的になってきました。
「生命の起源」を直接的に解明するのは現実的ではないので、そこは人生の最終目標とし、深海微生物の「食生活や食物連鎖」に狙いを定め、実験を繰り返す日々が始まります。

深海の温泉

正確には、深海の「熱水噴出孔」という、熱水がボコボコ噴き出している場所に生息している微生物の研究です。
熱水噴出孔の仕組みや構造は「温泉」に近く、地球内部の成分と深海の成分が混じり合うことで、微生物の活発な代謝・増殖が可能になります。
その微生物をエサにしていると考えられているエビや貝などの動物も集まり、太陽光を必要としない一つの生態系が暗闇の深海にできあがります。

実験手法の選定

しかし、深海という場所や微生物というミクロの世界がその生態系の調査をかなり難しくします。
ハイテクをフル装備した調査船や潜水艇、最新のバイオテクノロジーを使っても、深海の温泉で実際に起きている食物連鎖や微生物の生活について明確にすることは出来ず、研究者同士の知恵比べは何十年も続いています。
僕もその何十年の戦いに参戦するわけですが、現実性を重視して、既存の手法を深海微生物に試すことにしました。

訓練開始

既存の手法とは言っても、海外を含む遠方の研究者達にとっての話なので、具体的な手順やデータが手元に無く、自分の実験が上手くいかない原因を突き止めるだけで、かなりの時間がかかりました。
また、この手法は放射性物質を扱うため、使用許可をもらったり、使用した線量を細かく記録したりと、多くの書類を書くことが義務付けられ、これもかなり大変な作業でした。
およそ1年後、航海で深海微生物を採取するその日まで、この手法をマスターするための訓練がひたすら続きます。

遅いようで早い毎日でしたが、本番に向けて準備を怠らないことの重要性を、この時体験できたのかもしれません。
航海だって、そう何度も行けるものではないし、船上での実験だって、自由にできるわけじゃない。チャンスは限られますから。


第5話「宇宙と生命」

目の前の課題は深海微生物の研究でしたが、「生命の起源」に迫るために宇宙と生命のつながりについても考えたくて、別の活動にも取り組みました。

宇宙生物

この分野は、主に宇宙環境が及ぼす生命への影響について研究する学問で、趣味のような形で、学会に参加したり、若手研究者と交流したりしました。宇宙と生命に興味を持った院生に出会えたり、そういう院生向けの講義に参加しているうちに、この学問の普及を目的とした若手団体の幹部として活動するようになりました。
気の合う、比較的立場の近い仲間は、この分野の方が多かったかもしれません。

夏の学校

この団体の主な活動は、夏に開催される2泊3日の夏の学校というイベントでした。
宇宙や生命に興味を持った学生が情報交換したり、勉強したりできる場を設けるのが目的で、幹部のメンバーはその会場を設営したり、講師を呼んだり、参加者が交流できる企画を考えるのですが、幹部はみんな全国に散らばっているので、各自準備を進めて、時々集まってはミーティングをしました。
なぜか僕はサイトの運営を任されることになり、ホームページの作り方を勉強する事から始めましたが、とても楽しかったのを覚えています。

研究は面白い

火星の地質に関する論文を読んだり、原始地球や化学進化に関する雑誌を読んだり、NASAの惑星調査や宇宙実験のニュースを追いかけたり、普段は見れないJAXA人工衛星や実験室、管制塔を見学したり、宇宙飛行士に直に会えたり。
分野の壁を気にせず、自分のやりたい事を遠慮なくやれる瞬間が続いていたことは、本当に楽しくて嬉しくて、研究を続ける原動力になりました。

分野を超えた活動が、研究に対する魅力を大きくして、博士へ進む可能性も大きくしたのは間違いなかったでしょう。
たぶん、この時が、その可能性のピークだったように思います。


第6話「研究者とは」

研究を楽しみながら、いろいろと心掛け、技術を磨いて、少しずつ目標に近づいていく一方で、徐々に気になるようになったのは不登校院生の存在でした。

不登校院生

彼らは、長い時では2、3ヶ月姿を消すようになりました。
授業の一環として研究発表をするために姿を表しても、研究に費やす時間がほとんどないわけだから、説得力のある仮説も証明方法も準備できるはずがなく、彼らの発表を聞いてる側は、イライラしたり、あきれたりする。そして、その怒りと失望の目を向けられた本人は、さらに大きなストレスにさらされ、また不登校になる。
前の研究室でも起きていたことが、ここでも起きているわけだから、「何で不登校になるのか」は自然な疑問でした。そして、いろんな大学の院生や先生たちと交流していて、わかったのは、この問題が多くの大学にありふれているということでした。

院生の立場

不登校はルール上問題にならない。大学の講義を欠席するのと同じこと。だから、不登校について誰も注意はしないし、対策もとらない。
もちろん、成果物となる修士論文の内容が希薄になっていくわけだから、研究に当てられている単位を落とす可能性は高くなり、卒業が難しくなる。彼らは立場上「学生」であり、不登校になる事で課せられるペナルティも「学生」である。
しかし、教授たちが望むのは「研究者」としての態度であり、議論の的は、仮説と実験手法の現実性や具体性、理屈や根拠に絞られる。考えようによっては、修士過程というのは「学生」が「研究者」になっていくための期間なのかもしれない。

研究者とは何か

ただ、世の中に広く伝わっているのは「研究とは何か」であり、「研究者とは何か」については、あまり知られていない。
学生自信も、それについては噂で聞く程度であり、ほとんど何も知らないまま修士過程に進学する。だから、学生と研究室の間でミスマッチが起こりやすい。
でも、明るみに出ない現実を含めて「研究者とは何か」を説明されることはないから、結局は、研究しながら、自分で気付いていくしかない。

僕自身も、「研究者とは何か」はあまりよくわかっていませんでした。
教授という位に就くまでの不安定な立場にいる場合、研究者は社会的立場や経済状況、進路における大きな問題に直面する事になる。


第7話「博士か社会人か」

「研究者とは何か」を考え始めた時、「就職活動」という社会の流れを意識しなければいけませんでした。博士の置かれる立場を知ったほとんどの修士は社会人の道を選び、就活を始めます。

能力の有無

研究に大きな魅力を感じていた自分の場合は、一旦、博士の置かれる社会的立場や経済状況について忘れ、研究者の道を歩んでいける能力があるかないかを考えました。
この時「能力はないかもしれない」と結論が出てしまったのは、「修士の間に論文を一つ世に出す」という目標に、その時点では手が届きそうになかったからです。
研究を始めて1年も経っていないから、この時点で諦めに近い結論を出すことは良くないかもしれませんが、就職活動に乗り遅れてしまうという危機感もあり、結論を先延ばしにすることはできませんでした。

進路の可能性

もう一つ考えたのは、どちらの進路に進んだ場合、自分の可能性が広がるかということでした。
可能性というのは、選んだ進路で失敗したり、新しい進路を自ら選ぶことになった場合、再就職が有利になる可能性や、選んだ進路を歩みつつ、別の活動に取り組める可能性、全く経験のない未知の興味に出会える可能性のことです。
博士過程に進んだ場合、学生という立場で3年間研究を続けて行くことになるけれど、その先に開らかれる可能性は、量も質も社会人より劣っているという事は、もはや教授や院生にとっては、ありきたりの事実でした。
納得出来ないのは、研究に一生懸命な若者にも、その事実が突き刺さるということでした。

研究者の敵

進路について、このように悩み始めた時点で、おそらく、博士に進める素質はなかったのでしょう。
進路に迷うなら博士過程に進むべきではないと、どこの教授も博士も口をそろえて言っていました。
研究に夢中になっている頃は、「何で学生の進路に対して、そんなネガティブな事ばかり言うのか」と思っていましたが、それは、どんなにポジティブに夢を追い続けても、不都合な日本の社会システムが立ちはだかることを、彼らは知っていたからだと思います。

そんな不都合な社会を懸念して、博士へ進む気持ちが揺らぎ始めたわけですが、それが「若者の進路とそれを制する社会」について考えるきっかけになりました。


第8話「進路の決断」

研究をする理由は「好奇心の追求」。その好奇心は、学部生の頃に続けた生命科学の勉強と天体観測がきっかけで芽生えたもの。
大学に進んだのは、高校の「生物」や「地学」が得意で、中学の時も「理科」が得意だったから。ただ、その頃は、勉強する理由はわかっていませんでした。

勉強する理由

中間テストや期末テストなど学力を競うシステムが導入される中学生辺りになると、大人たちは「勉強しろ!」と子供たちに言い始め、塾に行かせたり、家庭教師を雇ったり、子供の成績を伸ばすために、とにかく必死になる。
ある程度の学術や知識を身につけて欲しいという願いと、進学や就職を有利に進めて欲しいという願いがあるのでしょう。
ただ、その願いをどんなに上手く説明されても、学歴の意味や社会の仕組みを知らない子供たちが実際に体験していくのは、「テストや受験を乗り切るために暗記を強いられる退屈でつまらないもの」であり、結局は、その願いはほとんど伝わらない。
僕も勉強は嫌いでしたが、運動が得意ではなかったし、良い成績をとれば、大人たちは喜んだり褒めたりするから、理由はわからずとも、勉強を頑張ることはできました。

勉強から研究へ

勉強をしているうちに理科の面白さに気づき、大学に進むことになりましたが、そこでは成績で学生を評価する文化は薄れ、自分の好奇心を自分自身で追求してくようになりました。
誰かが喜んだり褒めるからではなく、学問の中に好奇心を見いだし、自分自身が気にかけていた謎について迫れることが嬉しかったのです。それから先も、ひたすら好奇心を追求し、最終的に大学院で研究をすることになりました。

学術教育のあり方

日本の場合、博士は学生扱いだから、給料はもらえず高い学費を払わなければいけない。その先の進路も、教授になるまでは十分な収入を安定して得ることは難しく、不安定な生活が10年以上続く場合もある。その頃には、30歳、40歳の大人になっている。
将来のことを真剣に考えれば、そんな経済的に厳しい進路に身を投じるなんて事は考えにくくなるし、その方が利口だと認める研究者も多い。実際、研究者の道に進む学生は年々減ってきている。
そして、いつしか大学は本来の「学術教育」の立場から「就職予備校」の立場になっていき、「若手研究者の減少」に拍車をかけていく。
これが発端かはわからないですが、「研究の魅力」を知る大人はほとんどいないような気がして、少なくとも僕自身は、中学、高校で学んだ「学術教育」に魅力を感じることはあまりなくて、大人たちから伝わってくるのは、「進学や就職のために良い成績をとれ!」という主張でした。
もしかしたら、そんな世の中が「理科離れ」を引き起こしたのかもしれないし、たとえ子供が勉強の中で純粋な好奇心を見出しても、大人たちは「なぜこの子は勉強するのか」を理解するのは難しいかもしれない。
勉強は嫌いだけど、研究は好き。東大に行ったのは、学歴社会のためじゃなく、やりたい研究をするため。
勉強するのは、本当は『好奇心の追求』なのだけど、いつしか『進学や就職のため』と、大人たちが植え付けてしまったのかもしれないですね。

そうして、勉強と研究が切り離されてしまった学術教育に不満を覚え、同時に、「なぜ勉強するのか」をちゃんと教えられる人間になれるように、自立することを望むようになったのです。


第9話「就活」

2009年1月、博士への進路はほとんど望まなくなったわけですが、かと言って、やりたい仕事はなく、気付いたら世の中は就職氷河期と呼ばれる時代になっていました。

研究との両立

100以上の企業にエントリーしたり、大量の就活本に目を通したり、幾つもの就活サイトに登録したり、就活生はみんな必死になります。修士1年生も、この時は研究を一時的に中断し、就活に励みます。
僕は「就活で忙しいから」と言って、本職である研究を止めたくなかったので、研究をしながら就活することにしました。
方法は単純で、自分が興味を持たない業界や就職しても頑張れないと思った企業はバッサリ切り捨てました。就活本もたくさんあり過ぎて、選ぶのがめんどくさかったので、買いませんでした。

研究職

何の仕事をするか最初に考えたのは、研究で学んだ知識や技術を活かせる仕事、つまり研究職でした。
ただ、エントリーシートを書いていて、「興味ないや」と思ったのが正直なところでした。今まで自分の好奇心を追求するために研究してきたから、たとえ知識や技術を活かせるとしても、人の生活のために研究することに面白さを感じなかったのです。研究をするなら、やっぱり神秘的な夢のあることをしたいのです。
結局、食品業界の数社にエントリーシートを送ったものの、全て落ちました。やる気の無さがエントリーシートから伝わったのでしょう。

つないだ進路

そんな中、合同説明会の会場を歩いていて、何となく「いいな」と思ったのは、比較的若い人たちで組織されたWeb業界でした。会社というより大学に近い雰囲気を感じたのです。
直感的に興味を持った業界でしたが、Webの世界なんて何も知らないわけだから、上手くいくのか不安は大きかったですが、宇宙生物学の若手の団体でホームページを1つ作っていたことが功を奏しました。
就活はその1本勝負で、失敗したら後がない状況でしたが、何とか上手く行き、そこで内定をもらうことができました。

内定をもらうことは、同時に、研究生活が終わることを意味するものでしたが、研究を通じた課外活動で手を抜いていたら有り得なかった進路ということが、研究の終焉を受け入れ、納得することにつながりました。


第10話「社会へ」

2009年4月、修士2年になり、研究生活最後の1年が始まりました。同時に、Webデザインという分野の知識・技術を出来る限り学ぶことと、研究生活に悔いを残さないことを、この1年間の目標にしました。

入社への備え

Webデザインについては独学でちょこっと身につけた程度だったので、テクニックをちゃんと学ぶために、Webデザインスクールに通う事を決めました。本職の研究を優先させるというポリシーは変わらないので、多少受け身の姿勢でも学べる環境が必要だったということと、1年後の心の準備をするという目的もありました。
月1、2回の頻度で通うようになり、基礎を学び直すとともに、苦手意識のあった難しい技術についてもゼロから教えてもらうようにしました。最終的には、Webデザイン技能検定試験に挑戦したりもしました。

航海への備え

進路に悩み、就活に励み、Webデザインスクールに通うという将来のための取り組みをする一方、目の前の研究も妥協せずにずっと続けて来ました。
やがて研究の目的は具体的になり、「目印を付けたエサを深海微生物に食べさせ、どの種類の微生物が何を食べるのかを解明する」ために、実際に航海に参加することが決まりました。
航海開始までには個人レベルでも、チームレベルでも準備万端にする必要があるため、同じ船に乗る他大学や研究機関の研究者たちは事前に何度か集まったり、メールを使ったりして、誰がどんな実験をするのか確認を行います。
僕自身も準備万端にするために訓練を重ね、また、先生や先輩が費用や教育を惜しまず、その航海のために協力的になってくれた甲斐もあり、準備をしっかり整えることが出来ました。

現実を超えて

航海は何度か行ってみたかったですが、研究者としてはこれが最初で最後の航海になり、その半年後には社会人になります。
子供の頃から続けてきた勉強の延長線上に、研究者という進路があって、いつかは大学の教授になれたら良いなぁなんて想うこともありましたが、良くも悪くも、研究者としての人生はこれで終わりです。
でも、悔いが残らなかったのは、いろんなプレッシャーの中で、自分のやりたいことをやり続け、最後の最後に手の届かないところに手が届いた、という少しの自信があったからだと思います。
大きな事を成し遂げたわけじゃないですが、自分の持てる力を出し切って「生命の起源」に迫れる瞬間が来たことは、数年前では想像も出来なかった大きなチャレンジになります。

いろいろと社会に出た時の準備を進めてはいましたが、それでも一番楽しかったのは「研究」でしたね。
実験を繰り返し、論文を読み、仮説を考え直す日々が過ぎて行き、7月下旬、待ちに待った大海原への大冒険へと出発します。
planet-odyssey.hatenablog.jp