Mの旅日記 〜アラサー社会人の冒険〜

都会と社会と仕事から逃げるように始めた、アラサー1人旅の記録です

旅して学んだ、自由と孤独と集団に関する考察

2年ほど前に、自然を巡る一人旅を始めたのですが、都会と自然を行き来する生活が続いた影響もあって、「自然って開放的で癒さるなー」と思う一方、「なんで、社会生活はストレスがたまるんだろう」とか「なんで、人間関係のトラブルは絶えないのだろう」とか、いろいろと考えを巡らせました。
頭の中がごちゃごちゃしたままだと、変人極まりないので、心理学の勉強をしてみたところ、ある程度筋が通り、言語化できるようになったので、まとめてみました。

1. 旅を始めた理由

2、3年くらい前なんだけど、精神的に疲れてて、なんかイライラするし、現実に嫌気がさして、でも、その原因がよくわかんなくて、悩んだ挙句、考えるのがめんどくさくなって、純粋にやりたいことやろうと思って、「世界一周」の旅を思いつきました。

世界一周という結論になったのは、

  • 何となく旅人に憧れている
  • 地球のことを深く知りたい
  • 本当の宇宙を見たい

と、けっこう昔から思っていて、これらを実現するには、世界一周が手っとり早いと思ったからです。
ただ、世界一周ってどうやるんだとか、仕事どうすんだっていう問題があったので、この時は踏みとどまったのですが、「東京に飽きてきたし、長期休暇の間は、どっかの孤島で過ごそう」って思って、小笠原諸島に突撃してました。

その時は、山小屋のような宿で、珍獣に囲まれながらも、時々人と交流して過ごしたのですが、言葉では表しにくい感動的なものを味わうことができました。それをまた求めたくなって、その後、青ヶ島屋久島などを巡り、1年ほど前からは、海外にも行くようになりました。

実際に旅してわかったのですが、今はスマホやインターネットが普及したおかげで、かなり旅がしやすい世の中になっていました。飛行機も宿も、公式サイトやアプリで簡単に予約できるし、良質な安宿はたくさんあるし、Google Mapはオフラインで使えるし、旅人が残した記録(本やブログ、SNS)もたくさんありました。中には、日本で普通に仕事しながら旅をしてる人もいました。
「世界一周」を思いついたときは、数ヶ月かけて、いろんな国を巡っていく旅をイメージしたのですが、けっこう自由に旅できることがわかってきて、「自分なりのやり方で旅すれば良いや」ってなって、「このペースでも、一生かければ、世界一周できるんじゃないか」って思いました(今ここ)。


ちなみに、これまでの旅のスタンスはこんな感じでした。

  • 飛行機や宿は自分で予約する
  • 治安の良い国から始める
  • 宿はゲストハウスやホステルにする
  • 滞在は1週間ほど
  • ほぼノープラン
  • 自然の多い場所で過ごす

これも旅してわかったのですが、自分の中では「自然の多い場所で過ごす」っていうのが一番大事で、他の条件は、柔軟に変えていこうかなと。というか、オークランドバンクーバーが、思いの外、新宿っぽくて、夜は若者がウェーイ!してるので、あんま旅してる感じじゃなかった(泊まった場所が悪かっただけかも)。
ま、そんな感じで、試行錯誤しながら、少しずつ自分に合った旅の仕方を見つけていければ良いなと思います。

2. 一人旅の心境

一人なので、誰に気を使うこともなく、自由気ままに行動できるのですが、ときどき、孤独や不安を感じます。
家を出るときや、物騒な街にいるとき、夜道を歩いてるときなどは、不安な気持ちがけっこう高まります。「日本に帰りてぇ・・」って思う時もあったり。


ジャングルの夜道はかなり怖い

ただ、東京に帰ってきて、しばらく生活してると、特に、人混みや喧騒、論争の中にいると、けっこう頭が疲れてしまって、早く落ち着いた場所に行きたくなります。そういう状況がずっと続くと、また一人旅に出たくなってきます。

なので、特に最初の方は、孤独や不安という気持ちと、東京を出たいっていう現実逃避的な気持ちと、地球を知りたいっていう前向きな気持ちが同居した、ちょっとアンバランスな精神状態でした。
ただ、海外を旅し始めた頃から、少しこの心境が変わりました。

3. 自分の心に自由がないっていう気づき

海外はフィンランドニュージーランド、カナダに行ったのですが、自然の美しさは本当に素晴らしかったです(カナダは残念ながら天候に恵まれなかった)。

遠くに見える山々が美しいニュージーランドのテカポ湖。

その夜に見える星空。

宇宙の魔力を感じたフィンランドのオーロラ。


この時の感覚は、説明が難しくて、よく聞くかもしれないけど、「体全体でエネルギーを感じる」とか「心の底から幸せな気分になる」とか「体から毒が抜けていく」っていう表現をしたくなります。

国内でも、屋久島はそれに近い感覚を味わえたような気がします。


川の水はすごく美味しい

まだそんなに多くの場所は旅してないのですが、めったに見れない自然現象に出会えたのは、かなり幸運でした。
こういう体験をすると、普段の悩みなんて、本当にどうでも良くなってきます。本来、気にする必要のないことまで、気にしてるんじゃないかって。


そして、もう一つ、ハッとさせられたのは、外国(特に英語圏?)の方々の立ち振る舞いでした。

フィンランドの宿で、同じく一人旅の女性に会ったのですが、気軽に声をかけてくれて、こちらはそんな流暢に英語話せないし、ちょっと緊張してたので、若干申し訳なかったんだけど、優しく話しかてくれました。街ですれ違っても、人見知りすることなく、ニコッとして、そのまま自分の道を進んでいきます。
ニュージーランドやカナダでも、似たような風格の一人旅の方とたくさん出会いました。
堂々と自分の思うように行動する姿がかっこいいなと思いつつも、なにか自分に欠けているものを見せつけられたような気がしました。

そして、この時、「僕が気にしているのは、孤独そのものではなくて、孤独を嫌ったり哀れんだりする世間体の方なのでは?」ということに気づきました。

日本がそうなのか、東京がそうなのか、あるいは、自分が育った環境がそうなのか、わからないけど、「旅行はみんなで一緒にするもの」「カップルでするもの」「友人同士でするもの」とか、それはそれで好きにやれば良いと思うのだけど、「お一人様は負け組」という風潮があって、哀れみの眼差しを向けられるしで、僕も漠然と「そういうものなのか」と思っていたところがありました。なので、一人旅を始めたころは、周囲の視線が気になって、あんまり旅を楽しめてなかったような気がします。

たぶん、僕に限ったことではないけども、人はいろいろな集団の中で生活しているうちに、空気を読んだり、周りに合わせることに慣れてしまって、いつの間にか、自分の本心がわからなくなるんじゃないかなと思います。そして、それが続くと「なんか疲れる」という状態になっていくんだと思います。
だから、僕は、人によるプレッシャーが一切ない大自然に身を置きたくなって、そして、自分の本心に気づきたくなったんだと思います。

そうして、「実は孤独になりたかったんじゃないか」とか「実はもっと自由に生きれるんじゃないか」とか「自分の思い込みや勘違いで、自分を縛っているんじゃないか」と考え始めました。

4. 都会で、自由に振る舞う実験をしてみる

それから、東京の日々の暮らしでも、「自分の本音で行動すること」を試してみました。すると、何かを始めることよりも、何かをやめるという行動の方が圧倒的に多いことに気づきました。
つまり、本当はやりたくもないことを無理してやってたり、無理して居合わせたり、無理して発言してたりと、けっこう強がってたなと反省する結果になって、いつの間にか、「本音で行動すること」が「強がるのをやめること」になってました。

そして、ふと周りを見渡してみると、自分があまり集団に属していないということに気づいたのですが、でも、「これで良いのかも」って思いました。それは、「気が楽だから」というのもあるのですが、なんか体調も良くなってきたし、ご飯も美味しく感じられるようになったし、「やっぱり、孤独になる時間がけっこう必要かもしれない」と確信を持ち始めたからです。

そう考えると、一人旅に付きまとう「孤独」は不安要素ではなくて、自分にとって必要不可欠なプラスの要素になるので、「旅もさらに楽しくなるかも?」と思いました。ただ、ときどき人が恋しくなるのもの事実なので、きっと、適度な集団との付き合い方があるのだと思います。ネコみたいな生き方が理想なのかな!

5. なぜ、孤独を必要とするのか

この辺りから、心理学を勉強するようになったのですが、孤独(つまり、一人の時間)を必要とするのは、「脳が勝手にいろいろ情報収集し過ぎる」ことに要因があるようです。

やっかいなのは、脳の容量が大きいわけじゃないので、次から次へと勝手に入ってくる情報で、すぐに頭がいっぱいになって、疲れやすいこと。これを回避するために、周囲の情報を強制的に遮断して、脳を休める時間、つまり、孤独の時間が必要になるんだと思います。
そして、この孤独の時間に脳がやってるのは、たぶん、寝てる時に夢を見ているのと近い状態で、蓄積した情報を整理整頓してるのだと考えてます。

ここでいう情報というのは五感で感じれとれるもの全てなのですが、人間の感覚についてわかってることは、まだごく一部で、きっと五感だけでは説明できないものもあると思います。


まとめると、「周囲の情報に敏感な気質が孤独を必要とする一方、周囲の視線や世間体を必要以上に気にしてしまって、無理して周囲に合わせた結果、脳が休めず疲れてしまい、精神的なストレスを引き起こした」ということになります。
気質というのは生まれ持ったものなので、変えようとしたり矯正したりすることは、基本的にはできないので、僕の場合は、努力できる部分が、「人によるプレッシャーがない大自然に身を置く」「無理して周囲に合わせるのをやめる」ということだったのだと思います。

そして「自分自身の脳の構造を理解することで、集団との向き合い方がわかってくる」というのは、僕に限ったことではなくて、全人類に共通する課題なのではないか、と思いました。

6. 人類社会への応用

もしかしたら、人のよっては、こんなことは考えずに、自然と自分に合った生き方をしていけるのかもしれないけど、そういう人はあんまりいないような気がします。
「私は平気」「問題ないよ」と言う人でも、周囲から見ると、どこか強がってるように感じる場合があって、でも、本人はそのことに全く気付いていなかったりします。その不自然さは、人を苛立たせることもあったりします。
また、普段は良い人なのに、仕事や家族のことになると(というよりも、集団を意識すると)怒りっぽくなったり、力自慢したくなったり、逆に、自信がなくなったり、YESマンになってしまったり、理性は一体どこへ行ってしまったんだという場面が多々あると思います(自分もそうでした)。

この問題は、その人が子供だからとか、精神的に未熟だから、心が弱いから、とかではなくて、「集団のメカニズム」なんだと思います。人は集団を意識したときに、独特の思考回路になって、本心や個性を見失うことがあるんじゃないかと。つまり、そのメカニズムを紐解けば、集団の中でも、一人一人の個性が保たれるのではないかと思います。

「もしかしたら、社会や組織、人間関係のあらゆる問題を解決できる、心の原理があるかもしれない」という課題解決感みたいのは多少あるものの、それよりも、なんか、人の未知なる部分で仮説が生まれたことが、すごい面白くなって、もっと本格的に調べてみようって思いました。それで、10月から、通信制の大学で心理学を学ぶことにしました。

人の個性については、まだまだ謎が多くて、理解できない場面が多いと思います。社会で生きていくための基準があったとしたら、そこから逸脱した個性もあると思います。そういう時に、個性を社会の基準に近づけるよう働きかけるのか、あるいは、社会の基準を変える必要があるのか、迷うことになると思うし、安易に答えは出せないと思います。場合によっては、間違うこともあると思います。だから、試行錯誤しながら、個性と集団のバランスを追求してくしかないんじゃないかと。そして、それが試される機会が多いのが、教育なんじゃないかと思います。

僕が注目してるのは、主に「集団力学」「個性」「教育」で、まだ上手く説明できないけど、それぞれの分野が影響しあって、人の幸せにつながっていくんじゃないかと思います。


今後の旅ですが、「本当の宇宙を見たい」っていうのが、もうほぼ実現できたので、「地球のことを深く知りたい」っていう動機を中心にしつつも、同時に、「人の心理に関する理論を追求する」ってのをやっていこうと思います。